本校は,明治6年5月22日に乗相院を仮校舎として開校した。正式な校名は「第四大学区第二十二番中学区第十九番安来小学校」であった。昭和22年には「安来町立安来小学校」,昭和29年には「安来市立安来小学校」と幾度かの改称を経て,昭和53年には学校適正規模化のため2分化し,「安来市立十神小学校」と現在の校名に至った。

  校区は,安来市の中心部に位置し,国道九号線をはさんで,市の官庁,工場群,商業地域,住宅地が混在している。また,伯太川を中心に吉田川,木戸川などの川が流れ,その周辺には田園地帯も広がった自然環境に恵まれた地域でもある。校歌にも歌われる十神山を望む安来港は,米や鉄鋼を積み出す良港として古くから栄えた。現在も日立金属のヤスキハガネや安来節などが全国的にも有名であり,鉄の歴史を学べる和鋼博物館や市立図書館等もあり,歴史や文化を大切にする風土がある。

  昭和30年代には,海岸部の造成に伴い多くの子どもたちが通うようになり,児童数は一時1800人を超えた。平成時代になってからは飯島地区の宅地化が進んだが,現在は400人台から300人台で推移している。新興住宅地と旧市街地との意識差はあるかもしれないが,保護者を含むどの地域の方々も学校に対して協力的である。子ども見守り隊や読み聞かせ,環境整備を始め,見学や体験学習などへの学習支援など多くの方がボランティアとして学校にかかわって下さり,学校教育への関心も高い。こうした地域の中で暮らしている本校の子どもたちは,素直で明るく活動的である。

 

参考)

児童数の推移

    昭和53年(開校時)     809名

    昭和60年(30年前)     704名

    平成 7年(20年前)    435名

    平成17年(10年前)     386名

    平成29年(H29 4月現在)344名